【練習用台本】街(小川未明・全文)
童話作家・小川未明による、光と孤独をテーマにした静かな短編『街』を、朗読・一人語り練習用に全文掲載しています。
一人称の語り口の中に、静かな孤独感と再生の気配がにじむ、心に沁みる作品です。
セリフはありませんが、淡々とした語りの中に感情の余白を響かせる表現力が求められます。
※小川未明(1882–1961)の作品につき、現在は著作権が消滅しており、パブリックドメインのため掲載が可能です。
ある晴れた日のことであった。
男は、町の中を歩いていた。
町は、光にあふれていた。
人々は、にこやかに行き交い、子供たちは笑いながら走っていた。
しかし、男は何か物足りなさを感じていた。
どこか、自分がこの光の中に、存在していないような気がしたのだ。
男は、ガラス戸や鏡のある店の前を通った。
ふと、自分の姿を確かめようと、ガラスに目をやった。
――そこには、何も写っていなかった。
驚いた男は、別の店のガラスに目をやった。
しかし、やはり、自分の姿は写っていなかった。
男は、何度も何度も、町の鏡やガラスに自分の姿を探した。
けれども、どこにも、それはなかった。
「どうしてだろう?」
男は、不安になった。
自分は、本当にこの世界にいるのだろうか。
それとも、もう存在していないのだろうか。
町は、相変わらず明るかった。
笑い声が響き、店の呼び声が飛び交っていた。
けれど、その明るさは、男の心には届かなかった。
男は、いつのまにか町の外れに来ていた。
そこには、人も車もいなかった。
ただ、小さな草むらがあり、そこに一輪の花が咲いていた。
男は、その花を見た。
そして、立ち止まった。
そのとき、男の目から、ぽろりと涙がこぼれた。
男は、ようやく泣いたのであった。
※本台本は練習用として自由にご使用いただけますが、商用利用・転載はご遠慮ください。朗読・語りの表現練習にご活用ください。