推し活で救われる人は、
推しがいなくても輝ける人。
──その“ときめき”は、あなたの中にある光や。
「推しがいるから頑張れる」
「生きる希望ができた」
「この人に出会って、人生変わった」
そんな言葉、たくさん目にする。
わたしもようわかる。
誰かの存在が、自分の毎日を明るく照らしてくれることって、確かにある。
でも、ふと思うことがある。
「もし推しが引退したら?」
「もしいつか推せなくなったら?」
そのとき、自分はどうなるんやろうって。
推し活で元気になれる人って、
もともと“自分の中に火を灯せる力”を持ってる人なんやと思う。
その火がちょっと弱まったとき、
推しが“風”を送ってくれて、
ふたたび燃え上がる──そういう感じや。
でももし、火そのものが消えてて、
推しの存在だけで立っているような気がしてたら、
その関係性は、ちょっと苦しい。
推しの一挙手一投足に振り回されて、
「応援できない自分」が許せなくなって、
「この人がいないとダメなんや」って思ってしまうと、
本来“支え”やったはずの存在が、
“依存”にすり替わってまう。
推し活って、本来めっちゃ素敵な文化や。
応援する喜び、自分以外の存在に夢中になれる尊さ、
それを通して、自分の世界が広がっていく感じ。
でも、その“ときめき”の正体って、
じつは「推しが与えてくれるもの」やなくて、
“あなたの中に元からあるもの”なんやで。
推しが見せてくれるステージを通して、
- 「こんなふうに輝きたい」
- 「あの人みたいに努力したい」
ほんまは「自分の可能性」に触れてるんやと思う。
だから、
もし推しがいなくなっても、
人生が続くように──
ちゃんと“自分の光”を大切にしてあげてほしい。
推し活で救われる人は、
推しがいなくても輝ける人。
そういう人は、
“光を受け取る力”だけやなくて、
“光を放つ力”も育ててる人や。
「推し」は、あなたの中の“ときめきスイッチ”。
でもそのスイッチを押せる人は──
あなただけや。