ダイエット食品で痩せる人は、
ダイエット食品がなくても痩せられる。
──手段を“信じすぎる”前に、自分の目を育てよう。
「これを飲めば、痩せますよ」
「これを食べれば、みるみる体重が落ちます」
「これさえあれば、運動しなくても大丈夫」
──こういうフレーズに、ついグラッとくることってない?
わたしはある。何度もある。
しんどくて、苦しくて、「楽になりたい」と思ってるときほど、
こういう言葉に、希望のようなものを見出してしまう。
でもな、
その「希望」の正体って、
ほんまに“わたしを救うもの”やったやろうか。
「ダイエット食品で痩せた」という人がいるのは、事実や。
でも、それが“誰にでも効く魔法”なわけやない。
むしろ──
そういう人は、ダイエット食品がなくても痩せられる人やった、ということが多い。
何を食べるかよりも、
どんな時間に、どんな意識で、どれだけの量を口にしたか。
どんな姿勢で、どんな睡眠をとり、どんな習慣で日々を生きていたか。
そこに目を向けてみると、
「痩せた理由」は、手段やなくて“在り方”やったって見えてくる。
実はわたし、昔、事務所でそういう仕事をやったことがある。
ダイエット食品のモニター。
役者の卵にはよく回ってくる、いわゆる“PR素材づくり”の現場や。
3週間分くらいの食品が渡されて、こう言われる。
「運動しても、他に何食べても、ぜんぶ自由です。
でも3週間で、4キロ落としてください。」
え? って思ったけど、
つまり──「どんな手段でもいいから痩せろ」ってことやねん。
で、最終的に何が起きるかというと、
ちゃんと痩せた人は、「このダイエット食品のおかげです!」って笑顔でコメントする。
でも、ほんまは運動してるし、他の食事も調整してるし、何より“頑張った”のは本人や。
その努力の成果を、商品に全部背負わせる。
それが“商売の構造”なんやと知った。
けど、そうやって人は“騙される”んやない。
“すり替えられてる”だけやねん。
企業もメディアも、「わかりやすい手段」に見せることで、
「ほら、これで痩せましたよ」と言いたい。
でもほんまは違う。
痩せた人の影には、毎日の選択や、内面の変化や、積み重ねがある。
「手段」はあくまで、きっかけであり、脇役でしかない。
もちろん、ツールを使うのは悪いことやない。
便利な道具を賢く使うのは、大事な知恵や。
でも、
そのツールに「自分を委ねる」のか、
「自分が使いこなす」のか、
この違いが、人生を分けることって、めちゃくちゃある。
「これがないと、もうだめ」って思うとき、
ほんまは「自分に自信が持てないだけ」やったりする。
自分を見失わないために、
わたしはこう言いたい。
「自分の目を育てよう。」
何を選ぶか。
何を信じるか。
その判断軸は、“外”にあるんやなくて、“自分の中”にあるんや。
ダイエットでも、勉強でも、仕事でも、
「これさえあれば」は、たぶん存在しない。
でも、
「これがあったら、もっと楽しめる」は、ちゃんと存在する。
その違いがわかるようになったら、
騙されることも減るし、
自分で自分の道を選べるようになる。
ダイエット食品で痩せた人は、
ダイエット食品がなくても痩せられる。
そう気づいたとき、
わたしは初めて、ほんまの意味で“自分の体”と仲直りできた気がした。