環境が整ってる人は、
整ってなくても動ける人。
──「ベストな場所」は、動き出した人の足元に現れる。
「落ち着いたら始めよう」
「時間ができたら、ちゃんとやろう」
「もっといい場所に行けたら、きっとできるはず」
──そう思ったまま、時間だけが過ぎていくことがある。
わたしも、何度もそうしてきた。
そのたびに、「また動けなかった」と、自分を責めた。
でもある日、ふと思ったんよ。
「ほんまに“環境”のせいなんかな?」
たしかに、環境は大きい。
時間、お金、人間関係、騒音、気温、生活の安定。
どれも大切な要素やし、甘く見たらあかん。
でも、「整ってから」って思ってると、
たぶん一生“整わへん”んやと思う。
むしろ、本気で何かをやってる人って、
たいがい“整ってないとき”に始めてる。
仕事のスキマ時間にメモを取ったり、
家族が寝静まった夜にこっそり勉強したり、
道具が揃ってへんから、工夫でなんとかしたり。
完璧な場所なんか、誰も与えてくれへん。
自分で“ここ”を始まりにするしかない。
ほんまに環境を整えるって、
「部屋を片づける」とか「静かなカフェに行く」ってことやなくて、
「今ある条件の中で、自分が動ける形をつくること」や。
逆に、どれだけ環境が整ってても、
動けへん人は動かへん。
それは、自分の中に「始める覚悟」がないから。
あるいは、「失敗したくない気持ち」が勝ってるから。
だから、こう言いたい。
- 「動く人は、環境に文句を言わへん」
- 「整ってる人ほど、整ってない時代があった」
環境が整ってる人は、
整ってなくても動ける人。
そして、動いた人が、
自分で“整った場所”をあとから築いていくんやと思う。
スタート地点は、いつも“いびつ”や。
でもそこに立つこと自体が、もう動き出してる証や。
ベストな場所なんて、最初からない。
それは、「動き出した人の足元」にあとから現れる景色なんやで。