発声・呼吸・滑舌・アクセント

くちの体操〜声を出さない日でもできるトレーニング〜

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声優を目指す人にとって、「声を出す練習」はもちろん大切です。

けれど、毎日必ず大きな声を出せるとは限りません。家族がいる。近所迷惑が気になる。体調がいまひとつ。今日はどうしても声を出す気力がない。そんな日もあります。

でも、そこで完全に何もしないでいると、口まわりは意外とすぐにサボります。

久しぶりに声を出そうとしたとき、「あれ、口が重い」「舌が回らない」「言葉が前に出てこない」と感じることはありませんか。これは、声そのものというより、口・舌・顎・表情筋が眠っている状態に近いのです。

声は、喉だけで作るものではありません。

息が流れ、声帯が振動し、その音が口の中で形を変え、舌や唇や顎の動きによって言葉になります。つまり、どれだけ良い声を持っていても、口が動かなければ、言葉はぼんやりしてしまいます。

そこで役に立つのが、声を出さなくてもできる「くちの体操」です。

大きな声を出さなくてもいい。原稿を読まなくてもいい。録音しなくてもいい。まずは、口まわりを起こす。それだけでも、声を出す準備としては十分に意味があります。

しかも、くちの体操は、少し変な顔になります。

というより、かなり変な顔になります。

でも、そこが大事です。きれいな顔のまま、きれいに澄ましているだけでは、表情筋はあまり動きません。声のための体操は、少し思いきって顔を崩すくらいでちょうどいいのです。

人前ではやりにくいかもしれません。だからこそ、ひとりの時間にこっそりやりましょう。誰にも見られていないところで、堂々と変な顔をする。これも、表現の準備です。

1. ぷくぷく体操

まずは、口の中に空気を入れて、頬をぷくっとふくらませる体操です。

やり方は簡単です。口を閉じたまま、頬に空気を入れます。その空気を、右の頬、左の頬、上唇の裏、下唇の裏へと移動させていきます。

最初は、ただ頬をふくらませるだけでも構いません。慣れてきたら、口の中で空気をぐるりと一周させるように動かしてみましょう。

これをやると、唇のまわりや頬の筋肉がじわじわ動きます。普段、あまり意識していない場所が、「あ、今わたし使われてますね」と気づき始めます。

ポイントは、空気を漏らさないことです。口を閉じたまま、内側から頬を押すように動かします。

右へぷくっ。左へぷくっ。上へぷくっ。下へぷくっ。

見た目は、少し真剣なリスです。何かを詰め込みすぎたリスです。でも、そのリス感こそが大事です。頬や唇まわりがほぐれてくると、口の開き方も少し軽くなります。

朝いちばんにやるのもおすすめです。寝起きの顔は、思っている以上にぼんやりしています。声を出す前に、まず顔を起こす。そんな感覚でやってみてください。

2. にんまり体操

次は、口角を上げる体操です。

口を閉じたまま、にんまり笑います。笑顔というより、「何か企んでいる顔」に近いかもしれません。

口角を左右に引き上げて、少しだけキープします。力を抜いて、またにんまり。これを数回繰り返します。

この体操は、表情を明るくするだけでなく、口まわりの筋肉を起こすのに役立ちます。

声の印象は、口角の使い方にも影響されます。口角が下がったまま話すと、声も少し重く聞こえやすくなります。反対に、口角がほんの少し上がるだけで、声の響きや言葉の印象が変わることがあります。

ただし、無理に満面の笑みを作る必要はありません。

「はい、笑ってください」と言われて作る笑顔は、たいてい不自然です。ここでは、きれいに笑うことが目的ではありません。口角を動かすことが目的です。

にんまり。戻す。にんまり。戻す。

途中で、自分の顔がちょっと悪役っぽく見えても大丈夫です。むしろ順調です。「この人、何か知ってるな」という顔になってきたら、口角が働いています。

声優の練習というと、つい発声や滑舌ばかりに意識が向きますが、表情も大切な要素です。顔が固まっていると、声の表情も固まりやすくなります。

にんまり体操は、声を出す前の小さなスイッチです。

3. ぺろぺろストレッチ

続いて、舌の体操です。

舌は、言葉を作るうえでとても重要な働きをしています。けれど、普段の生活では、意外と大きく動かしていません。

やり方は、口を閉じたまま、舌で歯ぐきの外側をなぞるように回します。

右回りにぐるり。左回りにぐるり。

最初はゆっくりで大丈夫です。舌先で、歯の外側を掃除するような感覚です。上の歯、右側、下の歯、左側。ぐるっと一周します。

これを数回やるだけで、舌の根元や頬の内側が疲れてくる人もいるかもしれません。それだけ、普段使っていないということです。

舌が動きにくいと、言葉の輪郭がぼやけます。特に、ラ行・タ行・ナ行・サ行などは、舌の動きが大きく関わります。

もちろん、この体操だけで滑舌が劇的に変わるわけではありません。でも、舌を起こす準備としてはとても有効です。

ポイントは、急がないことです。

高速でぐるぐる回す必要はありません。むしろ、ゆっくり丁寧に動かしたほうが、自分の舌のクセに気づきやすくなります。

右回りはできるのに、左回りがやりにくい。上は動くけれど、下がぎこちない。そういう発見も大切です。

声の練習は、「できない自分を責める時間」ではありません。自分の体の状態を知る時間です。

舌が動きにくい日があっても、落ち込まなくて大丈夫です。「今日は舌が寝ぼけているな」くらいで構いません。起こしてあげればいいのです。

4. うーあー体操

次は、口の形を大きく変える体操です。

声は出さなくても構いません。口だけで、「うー」「あー」の形を作ります。

まず、唇を前に突き出して「うー」の形。次に、口を縦に大きく開けて「あー」の形。

うー。あー。うー。あー。

これをゆっくり繰り返します。

「う」の形では、唇をしっかり前に使います。「あ」の形では、顎を下げて、口の中に空間を作ります。

この動きは、母音の感覚を整えるうえでも役立ちます。日本語の言葉は、母音の響きがとても大切です。母音が曖昧になると、言葉全体がぼやけて聞こえます。

ただし、ここでも大切なのは、きれいに見せることではありません。

「うー」で唇をしっかりすぼめる。「あー」で思いきって開く。この差をはっきり作ることが大切です。

中途半端にやると、ただの小さな口の開け閉めになります。せっかくなら、少し大げさにやってみましょう。

鏡の前でやると、「わたしは今、何をしているんだろう」と思う瞬間があるかもしれません。

大丈夫です。

それは、正しい方向に進んでいます。

声の練習には、少しだけ自分を手放す時間が必要です。恥ずかしさを越えたところに、表現の自由があります。

5. 顔でグーチョキパー体操

ここからは、少し本格的に顔全体を動かしていきます。

顔で、グーチョキパーをします。

まず、グー。

目も口も鼻のまわりも、顔の中心にぎゅっと集めます。梅干しのような顔です。世界中の酸っぱさを一身に背負ったような顔です。

次に、チョキ。

これは少し難しいですが、片目を細めたり、口を左右どちらかに寄せたりして、顔に斜めの動きを作ります。きれいなチョキでなくて構いません。「なんとなくチョキっぽい変な顔」で十分です。

最後に、パー。

目を開き、口も開き、顔全体を外側に広げます。びっくりした顔に近いです。

グーで縮める。チョキでずらす。パーで開く。

この体操は、かなり顔が崩れます。人に見られたら、「何かあったんですか」と聞かれるかもしれません。

でも、顔が崩れるということは、それだけ表情筋が動いているということです。

普段、私たちは思っている以上に同じ表情で過ごしています。真顔。作り笑い。少し困った顔。スマホを見る顔。パソコンを見る顔。

その固定された顔を、一度ぐしゃっと崩して、もう一度開く。

これは、声のためだけでなく、表情のためにも役立ちます。

声優の表現では、声だけで感情を出すように思われがちですが、実際には顔もかなり動いています。悲しい声を出すとき、顔は悲しみに近づきます。驚いた声を出すとき、顔も驚きます。

顔が固いままだと、声の感情も固くなりやすいのです。

だから、顔でグーチョキパー。

少しおかしな体操ですが、やり終わると顔がふっと軽くなります。

6. アゴずらし体操

次は、顎を動かす体操です。

これも、なかなか見た目にインパクトがあります。

まず、下顎を前に出します。いわゆる、しゃくれたような状態です。無理に強く出す必要はありません。痛みが出ない範囲で、ゆっくり前に動かします。

次に、下顎を後ろに引きます。

そして、左右にずらします。右へ。左へ。

前。後ろ。右。左。

この動きは、顎まわりのこわばりをほぐすのに役立ちます。

顎が固まっていると、口の開き方が小さくなります。口の開き方が小さいと、声の響きや言葉の明瞭さにも影響します。

特に、緊張しやすい人は、無意識に顎に力が入っていることがあります。奥歯を噛みしめている。口を開けるときに引っかかる感じがする。話し終わると顎が疲れている。そんな人は、顎まわりの力みを一度見直してみるといいかもしれません。

ただし、この体操は無理をしないことが大前提です。

痛みがある場合は、やめてください。顎関節に不安がある人も、無理に大きく動かさないようにしましょう。

目的は、顎を鍛え上げることではありません。固まっている顎に、「そろそろ動きますよ」と知らせることです。

前に出すと、少し妙な顔になります。左右にずらすと、さらに妙な顔になります。

でも、その妙な顔の先に、口の軽さがあります。

人前ではできなくても、ひとりならできます。洗面所でできます。お風呂の前でもできます。誰にも見せない小さな努力が、声の土台を少しずつ作っていきます。

7. 口だけシャドーイング

最後は、声を出さずに口だけ動かす練習です。

好きな文章をひとつ用意します。短い文章で構いません。ニュースの一文でも、好きな本の一節でも、外郎売の一部でも大丈夫です。

その文章を、声に出さず、口だけで読みます。

このとき大切なのは、「なんとなく口を動かす」のではなく、本当に声を出しているつもりで動かすことです。

母音をはっきり作る。唇を使う。舌を動かす。顎を開ける。言葉のリズムを感じる。

声は出ていないのに、体の中では言葉が流れている。そんな状態を目指します。

これは、声を出せない環境でもできる練習です。夜遅い時間でも、周りに人がいても、大きな音を出さずに言葉の感覚を保つことができます。

もちろん、これだけで発声練習の代わりになるわけではありません。けれど、「今日は何もできなかった」と思う日を減らすことはできます。

たとえ声を出さなくても、口を動かした。言葉を追った。表現の準備をした。

その小さな実感は、次の日の練習につながります。

練習は、毎回完璧でなくていいのです。

大切なのは、完全に途切れさせないことです。

短くても、やり切った感を大切にする

声の練習というと、長時間やらなければ意味がないと思う人もいるかもしれません。

でも、毎日長時間の練習を続けるのは簡単ではありません。忙しい日もあります。疲れている日もあります。気持ちが乗らない日もあります。

そんなときに大切なのは、「今日はこれだけやった」と思える小さな区切りを作ることです。

ぷくぷく体操だけでもいい。にんまり体操だけでもいい。顔でグーチョキパーを一回だけでもいい。

短くても、やり切った感があると、「また明日も少しやろう」と思えます。

反対に、最初から完璧を目指しすぎると、練習そのものが重たくなります。

声優を目指す道は、短期決戦ではありません。

一週間で別人になる必要はありません。一日で滑舌を完成させる必要もありません。今日の口が、昨日より少し起きた。それだけでも、十分に前進です。

くちの体操は、とても地味です。派手な成果がすぐに見えるものではありません。

でも、地味な練習を続けられる人は強いです。

声の世界では、瞬発力だけでなく、積み重ねる力が必要です。文章を読む力。自分の体に気づく力。できない日にも完全に投げ出さない力。

そういう力は、毎日の小さな練習の中で育っていきます。

おわりに

声を出さない日があっても、練習が終わったわけではありません。

口を動かす。舌を回す。顎をほぐす。顔を思いきって崩す。声を出さずに、言葉の形だけをなぞる。

それだけでも、声の準備はできます。

大きな声を出せる日には、しっかり声を出す。出せない日には、口を起こす。そうやって、自分の生活の中に練習を置いていきましょう。

声優の練習は、特別な場所だけで行うものではありません。

洗面所でもできます。お風呂の前でもできます。寝る前に少しだけでもできます。誰にも見られないところで、少し変な顔をしながら、自分の声の準備をする。

その姿は、地味です。

でも、とても大切です。

今日、声を出せなかったとしても、口は動かせた。

それでいいのです。

小さく続ける人は、ちゃんと前に進んでいます。