「文化版・独占禁止法」──舞台は、誰のものか?

ミュージカルのチケット、最近ほんま高なってへん?

もちろん、お金かかってるのはわかるで。照明も衣装も、生演奏もあって、役者さんの熱量もすごい。

でもな、ほんまに一般人が気軽に観に行ける価格ちゃうねん、もう。

どんなに話題作でも、「このキャストは見逃したくない!」って思っても、1回の観劇に1万円超えるのが当たり前になってしもてる。しかもそれが連日やったり、複数回通うのが前提みたいな流れになってるやろ?

ほんで、「推し活」って言葉で包み込まれて、どんどん観劇が“趣味”やなくて“義務”みたいになってきてる気がする。

お金をかけるのが正義、みたいな空気

高い席で観る。何回も観る。グッズも買いまくる。差し入れもする。それが「応援」やって、言われる。

でもさ、ほんまにそれが“応援”なんかな?

あたしが演劇にハマったとき、もっと自由やった気がする。アルバイトの休みをかき集めて、1公演だけチケット取って、ちっちゃい劇場で全身震えるような体験をして、「また観たい」って思って、どうにかやりくりしてもう1回観に行く。そんなんが当たり前やった。

でも今は、「1回だけ?」って空気がある。

「もっと通わな」って。
「一番高い席じゃなきゃ」って。

ほんで、何回も観てる人が“常連”みたいになって、新規の人が「はじめまして」って観に来たときに、なんとなく疎外感がある。

固定客の顔色をうかがう舞台

固定ファンが多いってことは、それだけ安定した収入源があるってことや。

でも逆に言えば、その人たちにウケるような演出、その人たちが安心できるキャスティング、そういうふうに作品が“寄っていってしまう”可能性もある。

これは、ほんまに演劇の可能性を広げてるんやろうか?

新しい挑戦ができひん空気って、ちょっとしんどいやろ。

誰のための舞台なんか、わからんようになる。

新しい観客が入りにくくなる構造

ほんで、チケットが高いだけやない。

「グッズ列」も、「ファンサ争奪戦」も、「当選祭り」も、いろんなプレッシャーがある。

舞台が好きなだけで来た人が、最前の観客のルールに合わせなあかんような空気。

「2回目以降は立ってください」
「○○でペンラ振るのが定番です」
「この台詞、〇〇って返してね」

──そんな暗黙の了解が増えると、新規の観客は怖くなる。

それってほんまに、演劇の魅力なんかな。

舞台は、もっと“開かれた場所”でええやん

あたしは、演劇って、「ちょっと背伸びして来てみた」人が、感動して涙こぼすような世界やと思ってる。

年に1回しか行けへんかもしれん。チケット代も、やりくりしてどうにか工面するかもしれん。

でも、そういう人にとっても、舞台って“生きててよかった”って思える場所であってほしいんよ。

せやのに今は、“知ってる人だけが楽しめる”とか、“常連さんがルールを作る”とか、そんなふうになってきてる。

それ、ほんまにもったいない。

文化は、独占じゃなくて循環で残る

「チケット買える人だけが観て、また次も買える人が観る」
「知ってる人だけが来て、またその人たちが回す」

そうやって回していったら、舞台は“身内の祭り”になる。

でも、それやと残らんねん。

文化って、循環して初めて残る。

いろんな人が、いろんな温度で関わって、「あのとき観てよかったなぁ」って思える記憶がたくさん増えて、時間を越えて語り継がれて、初めて「演劇って文化やねん」って言えるんちゃうかな。

あたしは思う。

推しを応援することも、何回も観に行くことも、もちろん素晴らしい。

でも、それが“正義”になって、他の楽しみ方ができへん空気になるのは、ちゃうと思う。

もっと自由でええ。

1回しか観れへん人がいたってええ。

チケットが高くて諦めた人にも、「また機会があれば観たいな」って思ってもらえる舞台であってほしい。

あたしは、そう思ってる。

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