「水は絶えず流れ続ける。だから、今ここにある水は、もう二度と同じものではない。」
ヘッセの『シッダールタ』で、主人公が川の音に悟りを見出す場面がある。
それは知識でも、理屈でもなかった。
ただ静かに流れる水の音に、人生のすべてがあった。
私はその場面で、静かに震えた。
声もまったく同じやと思った。
今ここにある呼吸、この瞬間にだけ鳴る音。
同じセリフでも、読むたびに違う。
録音できたとしても、“その瞬間の呼吸”は二度と戻らない。
声は、川と同じく「今この一瞬だけを生きるもの」や。
「声優になれたら絶対がんばるから、仕事ください」
よく聞く言葉や。でも、それではなかなか仕事は来ない。
声優って、「なったら頑張る」もんやない。
今この瞬間から、もう“やってるかどうか”がすべてやと思う。
誰も見てないところで、どれだけ声優でいられるか。
自分で「今日も声優として生きる」と選び続けること。
それが、いつか“呼ばれる声”をつくるんやと思う。
私は、喉の調子にめちゃくちゃ敏感や。
乾燥、冷気、ストレス、食べ物──
全部、声のために気を配る。
それは「仕事やから」やない。
「声優という人生を、自分で選んでる」からや。
読むときは、毎回が“本番”やと思って読む。
なんとなく読まへん。闇雲に練習せん。
ひとつの音に集中して、届けるつもりで読む。
それが自然に“板についてくる”。
気づいたら、何かが生まれてる。
記事って、書いてはボツにすることもできる。
でも、簡単に没ばっかりしてたら、
人生が永遠に“リハーサル”のまま終わってしまう。
どこかで本番に出なあかん。
だから私は書く。出す。
喋る。
誰にも見られてへんときでも、声優をやる。
即興って、“何もないところから生まれるもの”やと思われがちやけど、
実はちがう。
即興って、「この瞬間を貴重に思う気持ち」から生まれるんや。
今ここにある空気。この呼吸。この一回きりの声。
それを愛おしく思えるから、私は声を出す。
「いつか声優になれたら」じゃない。
私は今日も、声優という人生に突っ込んでいる。
その在り方が、きっとどこかで声になる。
まだ誰にも届いてへんかもしれんけど、
ちゃんと、流れている。
🎙️締めくくり:
誰にも見られてなくても、私は今日も声優をやる。
その声は、川のように、今日も静かに流れている。